わかりやすい、真言宗智山派の歴史

興教大師 覚鑁

真言宗智山派ってなに?簡単に説明します

真言宗智山派は、たくさんの仏教のお寺が集まってできた大きなグループのようなものです。このグループのお寺さんたちは、みんな仲が良く、同じような考え方で仏さまを信じています。

智積院の梅
智積院の梅

というのは、グループという意味です。

智山というのは、お寺の名前「智積院」(ちしゃくいん)から来ています。このお寺が、このグループのいちばん大きなお寺さんだからです。

お寺の山号(さんごう)の由来

大悲山
長樂寺の山号

長樂寺には、「大悲山」という山号 がついています。日本中のお寺には、この山号(さんごう)が付きます。なぜでしょうか?

主な理由

  • 山岳信仰との融合: 日本には古くから山岳信仰があり、山は神聖な場所、霊山として崇められてきました。仏教が日本に伝来する以前から、人々は山に特別な力を感じ、そこに神々や仏様が宿ると信じていました。仏教が日本に根付く過程で、この山岳信仰と融合し、お寺も山と深い結びつきを持つようになったのです。
  • 修行の場としての山: 山は、世俗を離れ静かに修行できる場所として、仏教の僧侶たちにとって非常に魅力的でした。厳しい自然の中で自己を鍛え、悟りを求めるには、山が最適の場所と考えられたのです。
     
  • 極楽浄土のイメージ: 仏教における極楽浄土は、美しい自然に囲まれた理想郷とされています。日本人は、この極楽浄土を、現世の山に重ねてイメージすることが多くありました。そのため、お寺を建てる際にも、極楽浄土を思わせるような、美しい自然豊かな山を選ぶことが多かったのです。
     

山号がつくようになった経緯

  • 当初は平地に寺: 仏教が日本に伝来した当初は、平地に寺が建てられていました。
     
  • 山への移行: 時代が進むにつれて、修行の場として山が重視されるようになり、次第にお寺も山に移転したり、山中に建てられるようになりました。
     
  • 山号の誕生: お寺が山と深く結びつくにつれて、その山の名前を寺の名前に冠する習慣が生まれ、山号と呼ばれるようになりました。

真言宗智山派のお寺ができたのは?

昔々、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)さんというとても偉いお坊さんがいました。弘法大師さんは、中国からたくさんのことを学び、日本に持ち帰りました。そして、みんなが幸せになれるように、真言宗を開きました。

その後、興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)さんというお坊さんが、弘法大師さんの教えをもっとみんなにわかりやすく伝えたいと思って、新しい教えを作りました。この新しい教えを「新義真言宗」といいます。真言宗智山派は、この新義真言宗の考え方を大切にするお寺さんの集まりなのです。

真言宗智山派のお寺で何が出来るの?

真言宗智山派のお寺では、いろいろなことができます。

  • お祈りをする: みんなで心を一つにして、仏さまにお願いごとをしたり、感謝の気持ちを伝えたりします。
     
  • お経を読む: お経を読むことで、心が落ち着き、優しい気持ちになります。
     
  • 仏さまについて学ぶ: 仏さまのことや、お寺のことでわからないことがあったら、お坊さんに教えてもらえます。
     
  • お祭りをする: 一年に何回か、お祭りをして、みんなで楽しく過ごします。

子どもでもわかる!真言宗智山派の生い立ち

真言宗の宗祖、弘法大師・空海

弘法大師空海
弘法大師 空海

弘法大師空海(こうぼうだいし・くうかい)さんは、昔々、今の香川県で生まれたとっても賢いお坊さんだよ。空海さんは、大人になる前にたくさんのことを学びたくなって、遠い都へ行ったんだ。

都では、中国からきた難しい勉強をしたけど、ただ偉くなるためだけの勉強はつまらないと思ったんだ。そこで、みんなを幸せにするための本当の教えを探し始めたんだ。

ある日、空海さんは、特別な教えが書かれた本があるって夢を見たんだ。その本を探しに行くと、本当にあったんだ!でも、その本は難しくてよくわからなかった。

そこで、もっと詳しいことを教えてくれる先生を探して、遠い国へ行ったんだ。たくさんの大変なことがあったけど、やっと探し当てた先生から、たくさんのことを教わったんだ。

日本へ帰ってきた空海さんは、みんなに教えてもらったことを伝えたいと思ったんだ。そして、新しいお寺を作ったり、たくさんのことを教えて、みんなを幸せにしたんだ。

空海さんは、優しい心とたくさんの知恵を持った、すごいお坊さんだったんだよ。

弘法大師についてもっと知りたい方は、こちら!

弘法大師の教えを再び輝かせた、興教大師・覚鑁上人

覚鑁上人
興教大師 覚鑁上人

興教大師覚鑁上人(こうぎょうだいし・かくばんしょうにん)さんは、弘法大師の教えを再び輝かせたお坊さんです。昔々、弘法大師というとても偉いお坊さんがいて、みんなを幸せにするための教えを広めました。でも、長い年月が経つうちに、その教えを大事にする人が少なくなってしまい、お寺も元気がなくなってしまったんだ。

そんな時、興教大師覚鑁上人というお坊さんが現れたよ。覚鑁上人は、弘法大師の教えをもう一度みんなに知ってもらいたいと思ったんだ。そこで、お寺で勉強する場所を作ったり、たくさんの人に教えたりして、お寺を再び活気づかせたんだ。

でも、覚鑁上人のことをよく思わないお坊さんもいて、けんかになってしまったんだ。そのため、覚鑁上人は別の場所に移って、そこで新しいお寺を作ったんだよ。

覚鑁上人は、弘法大師の教えを大切にして、みんなに教えてあげたから、「真言宗」というお寺の宗派を大きく広げたんだよ。だから、覚鑁上人のことを「真言宗中興の祖」って呼ぶんだ。

真言宗智山派の総本山は、京都にあります。総本山智積院(ちしゃくいん)です。